自分が“違うな”と感じることはしなかった すべてが繋がって、ここにたどり着けた

Interviewee

恵那市上矢作にある、1785年からの元旅館“吉田屋”へと定住をした作陶家の森ゆりあさん。敷地内にあった小屋に窯を据え、ひとり娘とべっこう猫を連れ越してきたのは約二年前。ゆりあさんは大学で彫刻を専攻し、卒業後は飲食店に勤め副店長として接客に勤しんだ。転職した花屋ではさまざまな店舗へ出向き、花を生ける経験を積む。

紆余曲折を経てひとり親になった時、保育士免許を取得し、さらに介護福祉士を目指すも、花屋での仕事が忘れられずもう一度花の仕事に携わりたいと思い、『花器を作れる』ようになったら武器になると、地元でもある焼き物の産地、瀬戸市にて窯業校で作陶技術を学んだ。それを機にすっかり陶器の世界の虜になってしまったそう。

取材はかつて栄えた吉田屋の旅館にて。平成に入ってから一部リノベーションされた部屋に住居をかまえ、江戸から昭和を感じさせる旅館跡地がゆりあさんのアトリエになっている。

圧倒的な時間を感じさせられる。急な階段を昇ると手で作られた百年以上前の本畳。昭和のタイルがノスタルジックなお手洗い。岩村城から移築されたといわれる欄間。床の間には祖父が掘ったという鬼面が。そして角を曲がるたび季節の花が生けてある。ようこそと咲いてくれているようだった。日本家屋のヤマボウシは凛としており玄関のグミはたわわに実っていて今にもこぼれそう。ゆりあさんのお子さんがそれをぱくりと食べたのが印象的。

少し奥にはゆりあさんの作品が展示されている。今の作品はヨーロッパのアンティークを中心にインスピレーションを受け、白が基調で彫刻的である。長い時間の経過と共に黒くなった床や柱がお互いを尊重しているように見えた。

いろんな仕事に携わってきていますがどうして陶にたどり着いたんでしょう?

「なんでたどり着けたんだろう?いつも自分のしたいことにはしっかり従ってきたと思う。その時の自分には何が足りてなくて、何が必要なのかをしっかり考えて進んでいけた。飲食も、花屋も、保育や介護も全て自分の足りない部分を補う蓄えになったし、どんなことも必要な経験だった。人任せにはせずに、自分が”違うな”と感じることはしなかった。それが糧になっていると思います。すべて繋がって、ここにたどり着けた。」

また『限りある陶土を大切に』との思いを聞く

「日本の粘土はあと十年持つか持たないかと言われています。粘土が採れる鉱山が、採り尽くされて日本産でなくなってしまう。もちろん新たに山を切り崩せばまた粘土は採れるそうですが、代償が大きいように思う。たくさんの生き物たちの住処である山、森林、それらを破壊してまでして、私たちの手元に残すものって一体なんなのだろう…。焼いたら二度と戻らない。それでも割れたら陶磁器が捨てられるんです。それを知ってからは廃陶磁器を再利用した陶土を使う、できる限り土を再生するなど、大切に扱っています。」

水無月と文月は明智町のクラシヤにて個展を開催中。風と音を感じる風鈴とゴブレット(グラスに脚と土台がついた杯)が並ぶ。風に揺れて傾く様を表したそれは、重みと冷たさが気持ちいい。釉薬は白く濃く、とろみを感じ透明なような気もする。脚は人形になっていて王様、神父様、花を摘む少女。馬は走り出しそう。

「魚の水を得たるが如し」とは新天地で本領発揮し活躍しているさまなどを表現しています。彼女は魚でもあり、花でもあり、意思(石)でもあり、職業モリユリアなのだと思う。

【一十百の愛しきもの】

会期 六月上旬-七月下旬

恵那市明智町 クラシヤにて

wENAnoyui は恵那、中津川に移住定住して下さった人々のなりわいに感謝したい、応援したいというおもいがあります。また、ここで産まれ、今は他の土地に根差し活躍している人々の紹介。スタートアップでこれからこんなことしていきたい!応援して欲しい!熱いおもいを伝える人々の場所としたいとスタートしました。

そんな私たちも応援して頂いています。この循環が大きくなってこの土地が豊かになりますように。

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