里山工房 佐々木美代子さん

wenayui

里山工房の佐々木美代子さんを訪ねました。佐々木美代子さんは“おはぎ”を制作し、【道の駅おばあちゃん市】で販売しています。恵那市山岡町で産まれ育ち、今も山岡で活躍され、おはぎを作り出してから十三年目。前職は根ノ上高原でレストランを経営されており、当時から地産地消のメニューを提供されていたそうです。食文化を大切にされており、恵那の伝統料理、薬膳料理を伝える活動もされていました。現在の“おはぎの美代子さん”に至るまでの道のりを伺いました。

美代子さんの食に対する思いは、どんなところにあるのでしょうか?

「私の小さい時、母は何でも手作りだった。昭和の時代にはどこの家庭でも田んぼで米ともち米を作って、季節の行事ごとに臼でぺったんぺったん餅をついとったの。春はよもぎ餅、秋は米の収穫を祝って食べた、かいかい餅っていって、指で餡と餅をまとめるの。もちろん氏神様やお彼岸、お弘法さんもおはぎをお供えしたに。どの家もそうやって何かあると餅やおはぎを作った時代だった。季節ごとの手仕事もそうだし、親戚が集まれば五平餅も握ったよ。自給自足で土地の恵みを大事にしてきた文化がある。今もそれを大事にしとるだけだに。」

昭和の時代は、農と食文化、自然との関わりが今より密接に関係していました。米作りに歴史がある恵那市は特にそういった文化が色濃くあったのだと思います。美代子さんが幼い頃は、どの家も餅やおはぎを作って地域の人にふるまっていたようです。もちろん令和の今も「御裾分け」の文化はあります。世代ごとの認識もありますが、稀になったと感じています。

今までに失敗や高い壁はなかったのですか?

「レストランの時にたくさん失敗はしてきたよ。長く経営したもんで、時代が変わっていく度にいろいろあった。人を雇ったりもしたし、日本の経済もいろいろ変化があったら。そのたびに試行錯誤してやっていく中、時代の流れは加速して食文化が全員同じではなくなったって思ったわけ。それぞれの家庭の味を伝えきれなくなったら。多くの人はね、お供えにはこの土地で作ったおはぎを供えたいっていうニーズをつかめたのは、レストランの時の試行錯誤と、小さい時から何でも自分たちでやってきたからかもしれんね。積み重ねてきたものに一貫性を持ちたいと思ったわけ。」

美代子さんが扱っているもち米は山岡産だと聞いて、地域を大切にしているのが伝わります。十三年の間も、時間が経っても美味しく食べてもらえるようにひと手間加え、アップデートも欠かさなかったそう。こつこつと続けることで培ったノウハウは月日を重ねた今、固定のお客様やリピーターが増えているそうです。そして時間の使い方も教わりました。

「里山の仕事をしながら、四季の移り変わりを感じながらやっていきたいもんで時間を大切にしとるよ。一日中働きっぱなしはやめたの。それで自分が生きてきた背景があるこの里山で、工房を作ったから里山工房としたの。」

自分が生きてきた背景があると表現した美代子さん。時代が進むのが速くなったといわれる昨今に、四季の移り変わりを感じながら働けるというのは多くの人々が理想としているのではないでしょうか。幼少期からの体験や、食文化がなりわいのきっかけになることがある。土地の強みを知ることはその土地に暮らす人々のニーズを知ることにもなるのだと思いました。そして里山とは、私たちの生活と隣り合わせの山のこと。人が手入れをしながら自然の恵みを頂くことができる山です。私たちと里山を繋ぐ“おはぎ”のような出会いがどんどん見いだせることを望んでいます。

wENAnoyui は恵那、中津川に移住定住して下さった人々のなりわいに感謝したい、応援したいというおもいがあります。また、ここで産まれた人々、今は他の土地に根差し活躍している人々の紹介。スタートアップでこれからこんなことしていきたい!応援して欲しい!熱いおもいを伝える人々の場所としたいとスタートしました。

そんな私たちも応援して頂いています。この循環が大きくなってこの土地が豊かになりますように。

sponsored/  https://www.ilduomo.jp/

sponsored/ https://www.riad-nana.com/

sponsored/ 明陶運輸株式会社

special thanks/https://www.instagram.com/koike_lab/

コメント