高校まで恵那で過ごした梅村奈央さんの『奈央屋』あれこれ

wenayui

梅村奈央さんは『奈央屋』店主。東京は八王子で2000年7月にネパールカレーのお店『奈央屋』を開業。当時は大学四年生だった奈央さんにとって何がきっかけだったのでしょう。

奈央「私たちって“ロスジェネ世代”って呼ばれていて、大学の入学式でも『あなたたちの就職先はありません』って、言われた。就職活動が始まる大学3年生頃から、自分で稼ぐためには何をする? と考えるようになって、同級生が企業に願書を出すように、私もお店を始めることを選んだの。当時のゼミの先生が本当にいい方で、『開業することを卒論のレポートにまとめてもいいよ』と言ってくれて。この物件が見つかったのが大学4年生の5月で、7月には『奈央屋』を開業したの。」

学生のころからネパールが好きだった奈央さんはネパールに関わる仕事がしたいと思っていた。しっくりきたのがカレーだったのだ。さらにそこからが奈央屋流。学生の仲間が集まってレイアウトを決め、タイルを張り、テーブルも椅子も、ホームセンターで購入した板にペンキを塗って作っている。シンクも閉店するお店から譲ってもらって、多いときは友人が20人くらい手伝いに集まってくれて準備したんだそう。奈央屋の開業資金一般的な開業資金よりぐっと低い200万円。

奈央「大変になることは百も承知だったけど、とにかく工夫で乗り越える!そんな精神だった。 開業資金で足りない分は、日本政策金融公庫さんから借入して、提出書類の準備など面倒な手続きも多いけど、当時の私はもう頭から何か出てたんじゃないか? っていうくらい何もかもが楽しくて(笑)、資金調達さえ楽しかった。今、同じことやろうとしたらきっと挫けちゃうかも。」

仲間に恵まれ、工夫をこらし、強い精神で開業した後は不自由なく経営する。ところが15年目にして体調を崩し働けなくなったことが。

奈央「開業してからず〜っと元気で。疲れ知らずの体質で、定休日にも遊びに出掛けて、家にもあまり帰らず、体が麻痺していたと思う。2015年頃、突然体調を崩してしまい、働けなくなって。当然、お給料はゼロ。休みたいけど、働かないと家賃が払えないから無理をして、悪循環に陥っていたの。個人経営者でも休める制度はないか役所に聞きにいったけど、『お店を辞めて生活保護を受けるか、頑張るしかありません』って言われて、厳しさに直面したのが辛かった。」

体を崩して以降は、時間を決めた以上は働かないと決め、「今日はここまで」と線を引くことも取り入れている。定休日も休み、お家時間も大切にしているそう。コロナ禍も奈央さんの働き方を見直すきっかけになったようだ。

奈央「これまで朝8時から23時くらいまで働きっぱなしで、コロナ禍で強制的に立ち止まって考えることができたのは、個人店としては良かったのかもしれない。夜の営業をテイクアウトのみにすると決断できたのも、私にとってはいいきっかけになった。」

立ち止まった奈央さんは、スパイスの通販をスタート。これがとても反響を呼び、今では津々浦々いろんなお店が取り扱う人気商品となっている。そしてレトルトカレーにも挑戦している真っ只中。

奈央「パッケージのシールどうしようかな? デザインどうしようかな? って考えて悩んでいたものを、お客さんから『かわいいね』って褒めてもらえたり、移動販売で行った先の方から『おいしかったよ』とスパイスのご注文をいただけたり、そういう出来事が何よりうれしくて、励みになるの。今まで目の前にあることで忙しかったけど、少しゆっくり考える時間もできたので、これからは計画的に考えながらコツコツと進んでいきたいな。」

20代、30代はとにかくいそがしく過ごしていたけど、40代になりスロースペースにして自分の中にスペースを作っていきたいと奈央さんは言う。お店では恵那の野菜をサラダにする日もあれば、恵那で作られたお米の販売もしている。まさしく恵那と都市を繋げる奈央さんの活躍に期待は膨らむばかりだし、余白ができた奈央さんから学ぶことはこれからも増えそう。学生起業を考える人々に奈央さんのあれこれが届くといいな。

コメント