冬至 | 2025 |山岡町の寒天と粘土の歴史

二十四節氣

冬至

一年で最も日が短くなり、再び光が伸びゆく節目、冬至。 古来より太陽が生まれ変わり、その力が回復へと向かうこの日は、再生への祈りを込めて尊ばれてきました。「陰」が極まり、万物が「陽」へと転じゆくこの瞬間を、「一陽来復(いちようらいふく)」と呼びます。「ゑなの結」は、この冬至を希望が芽吹く「始まりの節目」と定めました。

掘る者、洗う者、砕く者

冬至の朝。恵那山麓を包む冷気は、肌を刺すほどに厳しさを増します。 山岡町の特産である細寒天は、凍てつく闇の中で凍結し、昇りゆく陽光を浴びて、ゆっくりとその水分を解き放っています。

この地には、寒天よりもさらに古くから、地中深く根ざしてきた営みがありました。陶土採掘をはじめとする窯業(ようぎょう)です。江戸の昔、先人たちは掘り出した粘土の中に、キラリと光る無数の粒を見つけました。 水に濡れた蛙の目のように輝くその姿から、いつしかそれは「蛙目(がいろめ)粘土」と呼ばれるように。その輝きの正体は、風化した花崗岩に含まれる「石英」の結晶です。生き物の生命力になぞらえたこの名は、自然と共に生きた日本人の繊細な感性と美意識の結晶です。

世界屈指の粘りと可塑(かそ)性を誇る山岡の土は、江戸時代の暖を支えた火鉢や、食卓を彩る器へと姿を変えてきました。そして今、その技術は二百年の時を超え、最先端の半導体や通信インフラを支えるファインセラミックスの原料としても、世界の最前線を支えています。

この産業を支えてきたのは、「掘る者、洗う者、砕く者」という職人たちの確かな分業と、揺るぎない技術の連鎖でした。 この「土」が築いた強固な経済基盤と地域への信頼があったからこそ、後に続く「寒天産業」の礎(いしずえ)もまた、築かれることとなったのです。

「土」と「寒天」。一見異なる二つのなりわいは、共に山岡の風土が育んだアイデンティティそのものです。厳しい冬の寒さを、豊かさへと変えてきた先人たちの知恵と情熱。 私たちは、この地に流れる尊い物語を汲み上げ、次世代へと結び、語り継いでいきたいと思いました。

ゑなの結とは

私たちは恵那山のふもとでフリーペーパーを発行している任意団体です。本当の意味で“誰一人取り残されない”のは季節の移り変わりではないでしょうか。また美しい自然から、地域の強みや魅力を教えられているのは、私たちだとも感じています。 心を豊かにするこの地域のひとときを二十四節氣とともに発信。そしてこの地のスタートアップから、インタビューや寄稿を通したコンテンツは、恵那山の頂きより「ヤッホー!」と叫ぶように、多くの人々に届いたらいいなと思っています。
We are a voluntary organization that publishes free papers at the foot of Mt. Ena. Isn't it the change of seasons that truly means that no one is left behind? I also feel that we are the ones who are taught the strengths and charms of the region by the beautiful nature. We will transmit a moment of this region that enriches the mind with 24 seasons. And I hope that the content through interviews and contributions from startups in this area will reach as many people as possible like shouting "Yo-ho!" from the top of Mt. Ena.

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