不器用な自分だからこそ、誠実に本気に取り組んでみようと思える今がある。

wenayui

Q:草平さんはてらぼら農園という土作りにこだわった田んぼや畑を運営されていますが、農園をオープンするきっかけは何だったのでしょう?

単純に田舎で暮らしたいというのが一番の理由です。不便なことを数えればいくらでもあるのだけれど、それと同じくらい生きる豊かさを感じることができる日々にすっかり魅了されてしまったのだと思います。 太陽とともに目を覚まし、水田を見回りながら小鳥のさえずりや木々の葉音に耳を澄ます朝のひと時。家のすぐ横を流れる沢水で夢中で水遊びをする子どもたちの笑い声。育てた野菜を収穫したらそのままかぶりつくあの美味しさ。単純であたり前のことがこんなに豊かで美しいんだと気付いていたいと思う。でも同時に、社会的には「限界集落」なんて言われる場所。僕が思う「豊かさ」と社会が言う「限界」という狭間の中で、どうしたらこの豊かさを伝えられるのか、表現できるのか、届けられるのかを模索している日々です。

Q:そうした自然の豊かさに気付いたのはどのような経験からなのでしょうか?

僕は子どものころは極度の恥ずかしがりやで臆病者でした。親から離れて同年代がたくさんいる学校という場に慣れることができなくて、小・中学校の9年間をほぼ不登校で過ごしたほどです。学校に行かないと昼間は暇で暇で、近くの山で秘密基地作りをしたり、水晶探しをしたりしていました。両親が「山のハム工房ゴーバル」という食肉加工業を営んでいたので豚の解体(骨抜き)とかソーセージ&ハム作りを手伝ったりもしていました。学校という場所では自分の居場所を見つけることができなかったけれども、自然の中やゴーバルに関わる人たちの中で自分の居場所があったことが本当に恵まれていました。ほとんどの人が何だかんだこなしていくことに躓いたからこそ、あたり前の日々の豊かさや有り難さに気付けたと言えるかもしれないですね。

その後、3歳上の姉が島根県にある愛真高校という全寮制の高校に入学したことをきっかけに学校に興味を持ち、それまでほとんどやってこなかった勉強に必死に取り組むことに。一年間の浪人を経て愛真高校に入学し、その後も京都精華大学に進学、公民科教員免許を取得。大学卒業後は三重県にある愛農学園農業高等学校で社会科教諭 兼 学校農場職員として7年間勤務しました。

Q:2020年夏に実家近くの古民家に家族でUターン移住されましたが、その経緯を教えてください。

高校教師として働いていると将来の夢をまっすぐに語る高校生たちにすっかり感化されてしまって。僕も人生で一度くらいは自分のやりたいことに本気で取り組んでみようと思ったんです。本気になって取り組めることの喜びを高校受験の時の必死の勉強で経験していたことも大きかったですね。

その取り組んでみたいことが「自然の恵みを未来につなぐ」という今のてらぼら農園のコンセプトに繋がっています。Uターン移住してからというもの、古民家の傷んだ場所のセルフリフォームから始まり、農地や農業機械の確保、食品加工場の開設&加工品開発・製造、自宅横の森を伐採し、キャンプもできるイベントスペースとして「てらぼらの森キャンプ場」の開拓など、精力的に活動しています。

目の前の困難にぶち当たることも多々あったけれども、周りの方々が本当に助けてくれてここまでやってきました。「自分で作ってきました」と言えるものなんて全くない。関わってくれた人たち皆で作ってきました。まだまだ現状は自分の力不足を痛感する毎日ではあるけれども、一歩一歩誠実に、本気に、取り組んでみようと思っています。

text/souhei masumoto

忙しい田植え作業のあいまにいろんな話を聞かせてもらいました。途中で地主さんがいらっしゃって「80年以上生きているけど、この草を見たことがない。」と、ぼた(草の生えている畔)に咲く黄色い草を不思議そうに見ていました。地主さんは400年も続く屋号を守っています。農園の名前の“てらぼら” も同じぐらい古い屋号を引き継いだそう。いままでに見たことがない草は、この地の未来をどうつないでいくのでしょうか。未来って何年先ぐらいまで想像できるのでしょうか。山水がごうごうと流れる串原でそんなことをおもいました。                                                       kotomi mizuno

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