豊楽園 中野周平
山村の果樹園に今年も冬が来た。
秋に多くの果物をつけていた木々はとっくにすべての葉を落とし、今ではその幹と枝だけの武骨な姿を見せるのみである。この地域の方言で“しみた”、つまり凍った地面からは、長靴の底を伝って寒さが傷みを伴って感じられる。広く静かな空には時おり雪が降る。温暖な地域で育った僕にとっては非日常的な日々である。
僕は山口県出身である。高校卒業以降あちこちの県で暮らしていたが、2020年冬に中津川市阿木に引っ越し、すぐ近くの恵那市岩村町にある豊楽園という観光果樹園で働き始めた。2023年春からは代表を引き継いでいる。標高五百メートル以上という比較的冷涼な環境下で、ぶどう、梨、りんごを育てており、秋にはくだもの狩りをしに東海圏のあちこちからお客さんが訪れる。
収穫に販売に、と慌ただしい秋が終わって、今、冬は剪定の季節である。果樹栽培には農閑期はない。春に強く元気な枝を伸ばすため、すべての枝を切ったり間引いたりしなければならない。数年後にどのような樹形にしたいか、どこに実をつけたいかを考えて切る。寒空の下、ノコギリとハサミを持ち、時空間パズルに頭を悩ませ、肩を痛め、樹勢を考慮し一本ずつ木と向き合う作業は、大変であるとともに楽しい。農業は非常にアカデミックな仕事だと感じる。
今年は暖冬だと予想されているが、どうなるだろうか。農業を仕事にしてから、そして田舎暮らしを始めてから、天気予報を欠かさず見るようになった。そういえば去年は三月の高温続きで梨やりんごの花が一週間以上早く咲いてしまい、その後の収穫時期までのすべて作業のスケジュールが変わってしまった。
春の遅霜の影響も大きい。霜害に遭うと収穫がゼロになる可能性もある。梨を守るために、去年は四月に入ってから三度も、午前三時の暗いうちから何万円分もの灯油を缶に入れて焚いた。真冬のような寒さの梨畑。火を灯すと暖気が風に乗り上昇、垂れていた花が頭を上げて少しかわいく感じる。二時間ほど焚き続け、朝が近づく。東の空が白んできた。その湿度のある空気は、さすがは山間部の農園なだけあって、早朝登山における日の出までの、あの静かな変化と興奮に似たものを感じ、しばらくぼうっと眺めていた。
昔から登山や自然が好きだった。大学では農学部に入った。専攻は森林科学。森林植生や環境、木材工学、細胞など、森林に関することを時に実験室で、時に山林で、演習を交えて幅広く学んだ。
卒業後は会社員になったが、鬱になったり人生に悩んだりして、転職や退職を挟んで四国遍路を2周半ほど歩いた。四国各地のどんな場所にも道があり、集落があり、人が住んでいた。海辺では海藻を採る人、山村で畑仕事をする人。いろんな人の生活風景を垣間見、会話するなかで、都会よりも地域のなかで自然と触れ合って暮らすほうが人間にとって良いことなのではないかと、漠然と思うようになった。
旅を終えたあとの2020年冬、無職だった時に、友人から果樹園で若者を募集しているから来てみないかと誘われ、これも縁かなと思い、阿木に引っ越してきた。果樹栽培のことは何も知らず、一から勉強した。イラスト・文筆業も始めていたので、農業と二本柱でやっていけるのではないかと、楽観的に考えた。
農作業は土日も平日も関係ないが、日が暮れれば農作業はできないので、残業はない。雨や雪の日もお休み。そこに文筆業の作業時間をあてる。もちろんリフレッシュとして平日の昼間から温泉に入るのも気持ちいい。夜までダブルワークで多忙だが、自由さが無職っぽくもあり、意外と気楽な面もある。
家に帰れば庭や畑の世話。趣味程度にやっている家庭菜園はうまく作れたり作れなかったりだが、商売関係なく無心になれる土いじりは楽しい。自家製の梅干しや干し柿も作ってみた。
そのほかにも、組(自治会)の集まりに消防団。集会所の掃除当番にごみ捨て場の当番。田舎暮らしは忙しい。一番面倒くさいのは家周辺の広大な面積の草刈りで、春から晩秋まで、刈っても刈っても生えてくる。田舎の田園風景の一部はこうした住民による無償の努力のうえ成り立っていることを知った。でも、その景観維持に自分も関わっていると思えるのは、ちょっぴり嬉しいかも……。
汗だくの日暮れ前、家の背後にそびえる阿木山が赤く染まっている。どこからか野焼きの煙が漂ってくる。今日も一日が終わった。さて、夕飯は何を作ろうか。
地域の知り合いも少しずつ増えてきた。果物を果樹園まで買いに来てくれることもある。「今年の出来はどう」「ぼちぼちです」。暮らしと仕事が繋がっている。この地域で暮らしているのだという、これまで住んできたどの地方都市でも得られなかった実感がある。 特に大志もなくたまたま来たこの地域で働き、暮らし、何となくそのまま居ついて、埋もれていく心地よさ。そんな人生も、いいものです。
wenayui は恵那、中津川に移住定住して下さった人々のなりわいに感謝したい、応援したいというおもいがあります。また、ここで産まれた人々、今は他の土地に根差し活躍している人々の紹介。スタートアップでこれからこんなことしていきたい!応援して欲しい!熱いおもいを伝える人々の場所としたいとスタートしました。 そんな私たちも応援して頂いています。この循環が大きくなってこの土地が豊かになりますように。次のクールの支援も始めました。シェアして頂けたら嬉しいです。
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