「少年よ、大志を抱け」。小学五年生のときだった。担任の先生が意気揚々声高らかにそう読みあげると、続いて「さぁ
、みんな、ココロザシについて作文を書いてもらう。ココロザシとは……」一通り説明し終わると原稿用紙が配られた。ク
ラーク博士が言ったとされるこの言葉で、まぎれもなく、初めて、「志」に接した。その言葉の音「ココロザシ」は鼓膜に
木霊し、漢字の形姿「士」と「心」の組合せは瞼に焼き付いた。
「ここにみんなが大人になった時、してみたい仕事、やってみたいことは何かを書いてください」先生はそう締め括った
。クラス仲間は一斉に原稿用紙に向かい鉛筆を走らせた。だが私には、一向に大人になった時にやりたいことが泛ばない。
横目でチラリと見た右側の机の女子が「パーマ屋さん」と書いていたのを見て、「宇宙飛行士」という題名で書いてみた。
だがそれは当時、月面着陸に成功したアポロ宇宙船のニュースに触発され短絡的に泛んだ受け売り。端っからそんなつもり
はなかった。以来、その後の人生で志を抱いてそれを目指して進むというより寧ろ、その場その場、臨機応変に対応してき
た。
志とは無縁な人生を送ってきた私。その心もちに変化が萌したのは、役職定年を機に退職し四十年ぶりに故郷の中津川に
戻ってきてからだった。六十五歳。夫婦二人暮らしの生活では特にする人も周囲におらず、誰にもされることのない自分本
位の生活が始まった。そこに加え体力、気力に漲る余力があった。この先、どれだけ生きられるのか。時間と余力を無駄に
したくない。とつおいつ思案していたら泛んだ。「とにかく世のため人のため、力を尽くそう」。そこで、かねがね興味が
あったボランティアをすることに決めた。途端に奮い立つ心もちとなった。しかし、ボランティアという看板を掲げたもの
の、どんなことをしたらよいのか。空回りして焦るだけで胸中は曖昧模糊とした靄に覆われてしまった。もり上がった気持
ちが萎えかけ始めたそんな日のある日、苗木城下、閑静な街並みを眺めつつ散策し、ある一劃に脚を踏み入れた時だった。
私の双眸が威風堂々とした建物を捉えた。一瞥して周囲の民家とは異なる佇まい。散策する脚を制するように、何かが私の
袖を掴んだ。そして、誘い込まれるように建物に脚を進めた。このことが、よもや、靄を晴らすに至るとは夢にも思わなか
った。
広い庭の中にいたのは作業着姿の男性とサロペット姿の女性。私より優に一回りは若い。聞けば二人は夫妻だった。その
夫妻の話しで建物は遠山家の邸宅だと知って驚いた。なぜなら私は大学卒業までこの地に住んでいたので、その遠山家は苗
木藩主の末裔になることは知っていたが、邸宅を見たのは初めてだったからだ。それを夫妻が購入した。その旧家とは縁も
所縁もないのに。目的は保全し後世に残す。そのためにNPO法人を設立した、と聞いて二度驚いた。さらに夫妻は、この
地に伝承されてきた文化を次世代に継承するのだと語ってくれた。語る言葉の端々に情熱が溢れ、それが私の腑にズシリと
落ちるほど重量があった。その上、覚悟を感じそれが私の胸を射抜き、心を揺るがした。これが志なのか。私は夫妻に教え
られた。
探していたものはこれだ。この時、故郷に貢献する自身の姿を心に象る事ができ靄が一気に晴れた。つまり、自らの意志
で歴史的な建物の保全活動を行う。それが故郷の遺産を後世へと繋ぐ。千載一遇の機会を得たのだ。
「保全活動に参加したい」。迷うことなく、私は志を持っている夫妻に寄り添う志を表明した。夫妻は快く受け入れてく
れた。
活動は月二回。初夏に第一歩を踏み出し、休むことなく続け季節が一巡した。その間に同じ志を持つ方々と仲間になった
。皆私より若く顔ぶれは多士済々。大工、石積み職人、庭師、看護師、関係者、高校生、子育て中の主婦。私を含め邸宅を
保全する技術のない者は邸宅内の床の間や畳の乾拭きに大広間の掃除、敷地内の草毟り、庭木剪定等邸宅の美観維持という
審美面での保全活動を行う。それは法人の運営に欠かせない夫妻の資力を支える“”になると信じ汗をかく。
ボランティア活動の対象が苗木藩に関わるものである。大袈裟だが、私は苗木藩のに入り股肱之臣として仕える。そんな
風に考えている。現役時代、日日夜夜、指示を出す立場にいた。だがここでは、有志等で決めた事を忠実に行う。ある時、
数名の若い有志と一日かけて蔓延った雑草を一掃し終わった。積みあげられた雑草の山に向かって一人が声を張り上げた「
ヤッター」。私も続いた。未来を見つめ、若い人と行う作業に現職の頃とは違う充実感と楽しみを見出している。
少年時代、見つけられなかった志。高齢者となった今思うこと。それは高齢者だって志は抱ける。そして、あのヤッター
がの声となり人生が一層楽しくなった。 了
コメント