詩人・写真家 玉谷 天音
わたしが制作を始めたのは一年前のこの季節。暑い夏でした。何の知識もないままひたすらに撮って書き始めました。わたしにとってそれは生きることでした。ここではわたしにとっての詩と写真について書かせてください。
詩/
言葉は膨大な情報量を含むくせに物事を限定することを基本的な役割としている。わたしはそれが嫌いで好きです。憎らしく愛らしいです。どうしようもなくわたしたちは言葉に支配されているのです。わたしはただただ言葉を書きたいという欲求にかられるがまま、言葉を書き始めました。詩が何だかもわからずに。詩を読み始めたのは書き始めてからです。だから、まだわたしは詩の全てを知っているわけではないけど、一年間書き続けて思ったことは、詩は自由であるということです。詩の中で言葉は言葉自身を超え言葉にならないものを表現してくれます。その行為はわたしにとって息継ぎであり、叫びであり…。わたしは詩を通してわたしの思いを誰かに届けたいとは思っていません。届いたらそれはもちろん嬉しいですが、あなたの言葉であなたの解釈で読んでくれればいい思っています。わたしの詩はただそこにいてくればいいだけだから。
写真/
見るということ、写真は見るということです。光の波を瞳に受け色を見る。輪郭を捕らえ物を認識する。わたしはカラーのフィルム写真を撮って、手焼きでプリントしています。真暗な部屋の中、一人で印画紙に光を落とすとき写真は光でできているのだと思わされます。少しだけ落とす光のリズムを変えてみる、するとまた新しい子が生ま
れる。光はまるで生きていて、時にわたしを翻弄し、ときにわたしを魅了するあなたがたしかに在ってくれる、見える、触れる。それが詩とはまた違う部分でわたしを支えてくれています。より美しい色彩を求めて、見るのではなく観て、シャッターを切ることが世界とわたしを繋げてくれる。写真は生きているから、わたしが知らないところで、なにかと交わり生まれてくる。詩はわたしであるのに対して写真はわたしとは別のものだと感じています。詩も写真も大切なわたしの一部だから、わたしは詩と写真を通して開けてゆきたいと思っています。
追伸
八月の終わりから九月の頭にかけて、恵那にある庭文庫さんで個展をさせていただくことになりました。わたしはわたしのことがまだ全然わからないけど、展示をする、形にするという行為はわたしのなかにある一つの壁を壊してくれるのではないかと直感で思っています。わたしの生をさらけ出せたらと思います。興味が湧いたらぜひ遊びに来てください。
wenayui は恵那、中津川に移住定住して下さった人々のなりわいに感謝したい、応援したいというおもいがあります。また、ここで産まれた人々、今は他の土地に根差し活躍している人々の紹介。スタートアップでこれからこんなことしていきたい!応援して欲しい!熱いおもいを伝える人々の場所としたいとスタートしました。 そんな私たちも応援して頂いています。この循環が大きくなってこの土地が豊かになりますように。次のクールの支援も始めました。シェアして頂けたら嬉しいです。
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