Koike lab. 小池菜摘
大阪の小学生として訪れた中津川に嫁ぐことはもちろん想像していなかったし、東日本大震災を都心で経験したことで憧れた農家になることもちょっとも想定しない生い立ちでしたが、いつの間にやらすっかり中津川の農家になりました。
就農してからもう10年以上経つなんて恐ろしいわけですが、この間の営みについて、少しを書きます。ある意味で都会から田舎に暮らすことになって一番の驚きは、その地域コミュニティの濃密さにあるのであって、移住当初わたしの人生にそれが馴染む日が来るとは到底思えずにいました。
ところが、とっぷりと農家をやって、子どもも産んでとやっていれば、自ずと差し伸べられた手を握ることも増えて、自分がここで為すべき役割というのがごく自然に与えられるようになります。
身体がひとつしかないことをこれほど恨んだことはないかもしれません。与えられることは、全部やりたいぐらいです。雪が溶けたら春が来るように、それはごく自然に、与えられる。水も、空気も、光も、全部が相変わらず美しく眼前にひろがり、細胞に染み渡り、そして涙に反射します。
耳から入る言葉が、ひとを救うものにならないのであれば、口に入れて噛み締めてみれば良いのだろうなと。
この土地で育ったものは相変わらずやさしく、美味しく、麗しく、そろそろくたびれた細胞を洗い流してくれた頃かなと思うわけです。
人間は歳をとると、全てを知ったような気持ちになることがあります。わたしにとってのその驕りが一瞬生まれては、すぐに家の前の水路に流します。そうすることで、今日も土はいのちを育むし、風は水をもたらすので、あとは野となれ山となれ。
今日も、この地に生まれたいのちを愛でて、その未来を思い、やれることをやりながら、自らのいのちを使いす。追われることもなく、見透かされることもなく、常に、目の前の事実と現象に向き合うだけです。田舎とは、いのちとのつながりを意識するにはちょうど良い。
その将来を想像するに、適切なサイズ感でそこにあることを、わたしは「人間らしい生活」と尊びながら、残りの50年ぐらいを同じように生きていく覚悟を日々上書きします。
恵那山の麓だからこそ得られるしあわせを、広く多様ないのちにと、願うばかりです。
【恵那山のふもとからの寄稿】は恵那、中津川に移住定住して下さった人々のなりわいに感謝したい、応援したいというおもいがあります。また、ここで産まれた人々、今は他の土地に根差し活躍している人々の紹介。スタートアップでこれからこんなことしていきたい!応援して欲しい!熱いおもいを伝える人々の場所としたいとスタートしました。 そんな私たちも応援して頂いています。この循環が大きくなってこの土地が豊かになりますように。次のクールの支援も始めました。シェアして頂けたら嬉しいです。
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special thanks/Koike.lab
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